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2017,04/14(Fri)
熊本地震から1年。
発生したその時間にこのブログを書いています。
体験したことのない揺れで、パトカー、救急車、消防車のサイレン、緊急地震警報、マンションのセキュリティー警報。周囲は緊迫した音で溢れていました。
深夜になって、部屋はメチャクチャだけど、倒れるもののないリビングで家族3人で寝たことを思いだします。余震の時は停電にならなかったので、それほど非常時には感じなかったのかもしれません。
翌日、専門学校の講義の予定だったので、連絡をとってみましたが繋がらず、とりあえず行ってみましたが、やはりメチャクチャ。行く途中の熊本城の石垣も所々崩れ、車は通行止めでした。
徒歩で行ける範囲で私の住む町の周囲をみて回りましたが、この段階では損傷のある家はそれほど見当たりませんでした。中はどこもメチャクチャだったと思いますが。
被害が大きかった益城の報道が多かったので、心配した知人からの電話がありましたが、熊本市の中心はそれほどでもなかったんです。
まさか、この震度7の地震が余震だとはこの時は思いもしませんでした。
で、16日の深夜の本震。14日の余震とは比べものにならない揺れでした。
さすがに、このマンションも崩れるんじゃないかと家族で小学校に避難しました。多分、みんなが生きた心地がしなかったと思います。
朝まで震度5〜6レベルの余震が続き、一睡もできない状態。まだ、寒さが残る4月の夜は、毛布なしでは寝られません。
嬉しかったのは、こんな状態でも周囲を気遣う人たちが多いこと。余った自前の毛布を貸したり、子供にお菓子を与えたり、この緊急時にみんなで助け合っている風景は、日本人に生まれてよかったーと思える場面でした。
世が明けて、改めて周囲をみて回ると、熊本市中心部も今度ばかりは外観でもやばいと思える建物があちこちでみられました。
1年経った今も、傷跡が残る未修理の家がたくさんあります。業者さんも追いつかないのでしょう。
でも、気持ちは1年の時間で癒されているような気がします。
あんな恐怖は二度とごめんですけど、忘れずに生きて行きたいと思います。
特に日本人ならではの助け合う心は絶対に次世代につなげていきたい、そう願います。


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2017,03/26(Sun)
熊本地震で大きな被害を受け、立ち入りが制限されている熊本城の桜の名所が一般開放されました。
桜の名所として知られる「行幸坂」が開放されるのは熊本地震の後、初めてで、訪れた人たちは被災した城内を眺めたり写真を撮影していました。
訪れた人:「まだ、こんなにひどいんだなとびっくりしました」
行幸坂の開放はこの週末と次の週末にも予定されています。…テレ朝News
http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000097226.html
今年の花見は、どうなるかなぁと心配してましたが、ちょっと明るいニュースでした。
改めて、地震のすごさを振り返ると、震度7と震度6強が各2回、6弱が3回、5強が5回、5弱が12回。半年の間に起きた震度1以上の地震は4,081回。
5弱以上は、さすがにビクッとする規模です。それが24回も起きているんですから肉体的にも精神的にも辛い思いをした方が大勢いたことだと思います。
熊本城の復旧には634億円と20年の修復期間が必要です。形あるものは壊れるんだから、直す必要あるの?という意見もあるかもしれませんが、熊本県民からするとやっぱり熊本城はシンボルなんです。
きっと熊本城の修復の進み具合とともに、熊本県民は勇気が湧いてくるんです。
今年の熊本城マラソンでは、天守閣の瓦のかけらが参加者に配られました。それをもらっただけでもグッとくるものがあります。
観光客には完全版の壮大な熊本城を見て頂きたいけど、今の熊本城も是非見て頂きたいなぁと思います。入場できませんが、周囲からでも崩落した石垣や、崩れかけた櫓がたくさん見れます。痛々しい姿ですが、重機もない時代によくこんなものできたなぁと、その偉大さを実感できます。
震災時にたくさんの方から支援をいただきましたし、ふるさと納税でも支援いただいています。お返しできるものがあるとしたら、この熊本城の姿を実際に見ていただくことではないかとも思っています。

こんな姿の熊本城は、ある意味今しか見れないでしょう。この姿を見るのは、被災地を面白半分で見るのとは違うと思います。「じゃぁ、観光コースにすればいいじゃないか」と言われそうですが、私にはそんな力がないので突っ込まないでくださいね。個人的には、そうしてもいいのでは?と思うのですが。
それと、ご存知ない方のためにお知らせします。
熊本城では「一口城主」を募っています。一口一万円で城主になれるんです。ちゃんと城主証が発行されて、城主として登録されます。お殿様、お姫様になれるんです。
http://wakuwaku-kumamoto.com/castle/fukkou
月の土地を買うのとは違いますよ。実際に見ることができますから。
http://www.lunarembassy.jp/osusume/osusume?utm_source=adw_osumo&gclid=Cj0KEQjwzd3GBRDks7SYuNHi3JEBEiQAIm6EIwwoTbfruDV8xvtCxllgjs8iVCdicAguAizT-0JCA8EaAuCh8P8HAQ
ちょっとしたロマンです。オススメします。
桜の名所として知られる「行幸坂」が開放されるのは熊本地震の後、初めてで、訪れた人たちは被災した城内を眺めたり写真を撮影していました。
訪れた人:「まだ、こんなにひどいんだなとびっくりしました」
行幸坂の開放はこの週末と次の週末にも予定されています。…テレ朝News
http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000097226.html
今年の花見は、どうなるかなぁと心配してましたが、ちょっと明るいニュースでした。
改めて、地震のすごさを振り返ると、震度7と震度6強が各2回、6弱が3回、5強が5回、5弱が12回。半年の間に起きた震度1以上の地震は4,081回。
5弱以上は、さすがにビクッとする規模です。それが24回も起きているんですから肉体的にも精神的にも辛い思いをした方が大勢いたことだと思います。
熊本城の復旧には634億円と20年の修復期間が必要です。形あるものは壊れるんだから、直す必要あるの?という意見もあるかもしれませんが、熊本県民からするとやっぱり熊本城はシンボルなんです。
きっと熊本城の修復の進み具合とともに、熊本県民は勇気が湧いてくるんです。
今年の熊本城マラソンでは、天守閣の瓦のかけらが参加者に配られました。それをもらっただけでもグッとくるものがあります。
観光客には完全版の壮大な熊本城を見て頂きたいけど、今の熊本城も是非見て頂きたいなぁと思います。入場できませんが、周囲からでも崩落した石垣や、崩れかけた櫓がたくさん見れます。痛々しい姿ですが、重機もない時代によくこんなものできたなぁと、その偉大さを実感できます。
震災時にたくさんの方から支援をいただきましたし、ふるさと納税でも支援いただいています。お返しできるものがあるとしたら、この熊本城の姿を実際に見ていただくことではないかとも思っています。

こんな姿の熊本城は、ある意味今しか見れないでしょう。この姿を見るのは、被災地を面白半分で見るのとは違うと思います。「じゃぁ、観光コースにすればいいじゃないか」と言われそうですが、私にはそんな力がないので突っ込まないでくださいね。個人的には、そうしてもいいのでは?と思うのですが。
それと、ご存知ない方のためにお知らせします。
熊本城では「一口城主」を募っています。一口一万円で城主になれるんです。ちゃんと城主証が発行されて、城主として登録されます。お殿様、お姫様になれるんです。
http://wakuwaku-kumamoto.com/castle/fukkou
月の土地を買うのとは違いますよ。実際に見ることができますから。
http://www.lunarembassy.jp/osusume/osusume?utm_source=adw_osumo&gclid=Cj0KEQjwzd3GBRDks7SYuNHi3JEBEiQAIm6EIwwoTbfruDV8xvtCxllgjs8iVCdicAguAizT-0JCA8EaAuCh8P8HAQ
ちょっとしたロマンです。オススメします。

2017,03/20(Mon)
友人と集って熊本地震を振り返りました。来月には、地震から一年を迎えます。
貴重な体験だからこそ、そこから得たものを形にしなければならないと言いながら、それぞれで体験したことを飲み食いしながら語り合いました。
阪神大震災や東日本大震災と比較するのは適当ではないけど、熊本は死者が少なかったそうです。なぜか?
大被災地だった益城は、自衛隊駐屯地がある建軍から7キロ程度。そのことが、死者が少なかった要因の一つだったようです。倒壊した家屋からの救出活動は、報道が到着するよりも早くに行われていたかもしれません。
病院に勤務していた人の話が、印象的でした。東日本大震災の時は、死者が多くて病院は想像よりは暇だったらしく、生存者が多かった熊本は病院がパニック状態だったと。
病院は、そうでなくても、電気、水道がない中で大変な状況だったそうです。この地震で危機対策マニュアルも、電気がない場合、水道がない場合と、内容が濃くなったそうです。実際の体験に基づくマニュアルは、全国で共有してほしいものです。
そして、病院関係でもう一つ特徴的だったのは、車中泊が多かったことで、震災後もエコノミー症候群による患者さんで溢れたとです。
その対策で、テントの支援があったことは、次の災害でも生かされるのだろうと感じています。
他には、報道でもあったように、支援物資は届くものの必要なところへ配布されない事象は一番解決しなければならない問題だと思います。正しい情報を早く正確に共有する仕組みが、このような大震災の時に一番必要です。
今回、素晴らしいなと思ったのは、交通情報でした。地図アプリで通行不可能な道がバッテンで表示されていたのは、すごく参考になりました。
誰かが状況を確認して、アプリに反映させてくれたおかげだと思います。次の災害が発生した時は、支援物資の過不足情報が、同じようにアプリに反映されると熊本の被害も少しは浮かばれるでしょう。
もちろん、この事態を乗り切った行政や支援してくださった方は、次に活かすことを考えていると思います。
上から目線になっていたらごめんなさい。私個人で打てる対策はないのに偉そうなことは言えません。体験したことから思うことです。
私にできることは、その対策を活かせるように、新しい危機対策の情報を知ること、実施される訓練に積極的に参加することくらいだろうと思います。
地震にあって悪いことばかりではありませんでした。周囲の助け合う姿にはたくさんの感動を受けました。訓練とかではなく、日本人に備わった優しい振る舞いをあちこちで目にしました。
近所を歩くだけで、「水は大丈夫ですか?〇〇で配ってますよ」とか「炊き出しやりますから、遠慮なく食べに来てください」とか、自分のことより人のことを気にかけてくれる人がたくさんいました。それも、若い人が多かったこと。
こういうことを言っていいのか躊躇われますが、自分のことだけを考えたわがままを言うのは年配者の方が多く、若者の方が献身的に行動していました。
炊き出ししているのも若者だし、避難所で支援物資を配るのも若者でした。決してやらされているのではなく、自分たちがみんなを守るんだという気概を感じました。
大変な地震でしたが、日本人の優しさや若者のエネルギーを感じられた点は嬉しい出来事でした。




貴重な体験だからこそ、そこから得たものを形にしなければならないと言いながら、それぞれで体験したことを飲み食いしながら語り合いました。
阪神大震災や東日本大震災と比較するのは適当ではないけど、熊本は死者が少なかったそうです。なぜか?
大被災地だった益城は、自衛隊駐屯地がある建軍から7キロ程度。そのことが、死者が少なかった要因の一つだったようです。倒壊した家屋からの救出活動は、報道が到着するよりも早くに行われていたかもしれません。
病院に勤務していた人の話が、印象的でした。東日本大震災の時は、死者が多くて病院は想像よりは暇だったらしく、生存者が多かった熊本は病院がパニック状態だったと。
病院は、そうでなくても、電気、水道がない中で大変な状況だったそうです。この地震で危機対策マニュアルも、電気がない場合、水道がない場合と、内容が濃くなったそうです。実際の体験に基づくマニュアルは、全国で共有してほしいものです。
そして、病院関係でもう一つ特徴的だったのは、車中泊が多かったことで、震災後もエコノミー症候群による患者さんで溢れたとです。
その対策で、テントの支援があったことは、次の災害でも生かされるのだろうと感じています。
他には、報道でもあったように、支援物資は届くものの必要なところへ配布されない事象は一番解決しなければならない問題だと思います。正しい情報を早く正確に共有する仕組みが、このような大震災の時に一番必要です。
今回、素晴らしいなと思ったのは、交通情報でした。地図アプリで通行不可能な道がバッテンで表示されていたのは、すごく参考になりました。
誰かが状況を確認して、アプリに反映させてくれたおかげだと思います。次の災害が発生した時は、支援物資の過不足情報が、同じようにアプリに反映されると熊本の被害も少しは浮かばれるでしょう。
もちろん、この事態を乗り切った行政や支援してくださった方は、次に活かすことを考えていると思います。
上から目線になっていたらごめんなさい。私個人で打てる対策はないのに偉そうなことは言えません。体験したことから思うことです。
私にできることは、その対策を活かせるように、新しい危機対策の情報を知ること、実施される訓練に積極的に参加することくらいだろうと思います。
地震にあって悪いことばかりではありませんでした。周囲の助け合う姿にはたくさんの感動を受けました。訓練とかではなく、日本人に備わった優しい振る舞いをあちこちで目にしました。
近所を歩くだけで、「水は大丈夫ですか?〇〇で配ってますよ」とか「炊き出しやりますから、遠慮なく食べに来てください」とか、自分のことより人のことを気にかけてくれる人がたくさんいました。それも、若い人が多かったこと。
こういうことを言っていいのか躊躇われますが、自分のことだけを考えたわがままを言うのは年配者の方が多く、若者の方が献身的に行動していました。
炊き出ししているのも若者だし、避難所で支援物資を配るのも若者でした。決してやらされているのではなく、自分たちがみんなを守るんだという気概を感じました。
大変な地震でしたが、日本人の優しさや若者のエネルギーを感じられた点は嬉しい出来事でした。


